化 城 喩 品 第 七
 仏は諸々の比丘に告げられた。
ー 「過去無量無辺不可思議の無数劫の昔に、大通智勝(マハー・アビジニャー・ジニヤーナービプー)如来という名の仏がいられた。その国を好成(サンバヴァー)といい、劫を大相(マハールーバ)といった。この仏が世を去られたのは甚だ遠い昔のことであった。例えば、三千大千世界のあらゆる大地を磨りつぶして、大きさ徽塵ほどの塵となし、東方の千の国土を過ぎて一粒を投げ落とすとしよう。さらにまた、千の国土を過ぎて、また一粒を投げ落とすとしよう。この様に繰り返して、大地を磨りつぶして作った塵がなくなるまでやったとしよう。御前達はどう思うか。この諸々の国土の最後のものまでの数がどれ位になるのか、算数の師またはその弟子であっても知る事が出来るであろうか」
「世尊よ、知る事はできません」
「諸々の比丘よ、この人が過ぎて来た国土には、投下した国土もあり、しなかった国土もあるのだが、それらを悉く磨りつぶして塵となして、その一塵を一劫に数えるとしよう。かの仏が世を去られて以来の劫の数は、無量無辺百千万億無数劫である。私は如来の知見力によって、その久しく遠い昔の事を、今日の様に観るのである」
 仏はさらに諸々の比丘に告げられた。
ー 「大通智勝仏の寿命は五百四十万億ナユタ劫である。その仏はもと、道場に坐して悪魔の軍勢を破り終り、この上ない正しい悟りを得ようとされたが、諸仏の教えは現われなかった。この様にして一小劫から十小劫にいたる間両足を組んで坐り、身心不動であったのに、しかも諸仏の教えは、なお現われなかった。その時、三十三天の天人達は、既にかの仏の為に、菩提樹の下に高さ一ヨージャナの獅子座を準備していた。仏はこの座において、この上ない正しい悟りを得られる事になっていたからである。かの仏がはじめてこの座に坐られたとき、諸々の梵天王は、諸々の天花をまわり百ヨージャナにわたって降らした。香しい風は吹き来たって萎れた花を吹き去り、さらに新しい天花を降らした。この様にして絶えることなく十小劫にわたって仏を供養し、さらに永遠の平安を得られる時まで常にこの天花を降らした。四王天の天人達は仏を供養する為に常に天の鼓を打ち鳴らし、その他の天人達も天の伎楽を演奏して十小劫にわたり、さらに永遠の平安を得られる時まで演奏しつづけたのである。
 諸々の比丘よ、大通智勝仏は、十小劫を過ぎてから諸仏の教えが現われ、この上ない正しい悟りを完成されたのであった。
 その仏がまだ出家されない時に十六人の王子があった。それ第一王子を智積(ジニャーナーカラ)という。王子らはそれぞれ、種々の珍しい玩具を持っていたが、父がこの上なく正しい悟りを完成されたと聞いて、皆、珍しい玩具を捨てて仏の処へやって来た。諸々の母は涙を流してこれを見送った。その祖父である転輪聖王と、百人の大臣と、百千万億の人民とは、皆共に王子らをとりかこんで、王子らに随って道場に坐り、悉く大通智勝仏に近づき、供養し、恭敬し、尊重し、讃嘆申しあげようとした。彼らはやって来て、仏の足を額に頂いて礼拝し、仏のまわりを右廻りにめぐって敬意を表し、一心に合掌し、世尊の顔を仰ぎ見てこれらの詩を説いた。ー
ー 大いなる威光と福徳ある世尊は、生ける者達を救う為に、無量億歳において仏となる事を得、諸々の願いは既に満たされた。よいかな、吉祥なることこの上もない。ー
ー 世尊は甚だ希有であり、一たび坐して十小劫の間、身体及び手足は、平静であり安らかで、不動である。ー
ー その心は常に静かであって一度も散乱した事がなく、完全に永遠の平安を得て、汚れなき教えの中に安住していられる。ー
ー 今、我らは世尊が安穏に仏道を完成されたのを見て、善き利益を得、祝福し、大いに歓喜する。ー
ー 生ける者達は常に苦悩し、めくらであり、導き手はなく、苦悩を終らせる道を知らず、解脱を求めることも知らず、ー
ー 長い間、悪しき世界に趣くもととなる悪業を増し、天衆に加わるもととなる善業を減損し、闇黒から闇黒に入って、永く仏の名を聞かなかったのである。ー
ー 今、仏は最上であり、安穏な汚れなき教えを得られたのであるから、我らと、天人と、人間達は、為に最大の利益を得るであろう。この故に、悉く大地に頭をつけて礼拝し、仏に帰命するのである。
ー その時十六人の王子は、詩によって仏を讃嘆して世尊に教えを説きたまえとすすめて、悉くこう言った。
ー 『世尊よ、教えを説きたまえ。諸々の天人や人間達を安穏ならしめ、憐れみ、利益を与える事が多いであろう』と。
 その詩はこうである。ー
ー 仏は等しい者がなく、百種の福徳によって自分を飾り、無上の智慧を得られた。願わくは世間の為に説いて、 我らと、諸々の生ける者達とを救いたまえ。我らの為にこの智慧を分別し、顕示して、我らに得させたまえ。我らも仏道を得たいと思う。生ける者達もまたそうでありましょう。ー
ー 世尊は、生ける者達が心の奥底で思っている事を知り、また行なっている道も知り、また智慧の力も知っていられる。願いと、修めた福徳と、過去に行った行為とを、世尊は悉く知っていられるのであるから、どうか無上の教えの輪を転ぜられる様に。
ー 仏は諸々の比丘に告げられた。
ー 「大通智勝仏がこの上ない無上の悟りを得られたとき、十万の各々の五百億の諸仏の世界は六種に震動し、その国の中間の、暗くて太陽や月の光も照らし出す事が出来ない様な処まですっかり明らかになり、その中の生ける者達は互いに見る事が出来る様になって皆こう言った。
ー 『この中にどうしてたちまちに生ける者達が生じたのか』と。
 また、その国土世界の諸々の天の宮殿から梵天の宮殿に至るまで六種に震動し、大いなる光は普く照らして世界中に満ち、諸々の天の光よりも優れていた。
 その時、東方五百万億の諸々の国土の中の梵天の宮般は光り輝いて、平常の明るさに倍していた。諸々の梵天王は各々こう思った。
ー 『今、宮殿の輝きは昔から有ったためしがない。どういう因縁でこんな光景が現われたのか』と。
 この時、諸々の梵天王はそれぞれ互いに訪ねあってこの事を語り合った。さて、彼らの中に救一切(サルヴァ・サットヴァ・トラータル)という一人の大梵天王があって、諸々の梵天王達の為に詩を説いて言った。ー
ー 我らの宮殿の光明は、昔よりなかった処である。これは一体何の因縁であるか、各々、共にこれを訊ねよ。ー
ー 大徳ある天人の生まれたためか、仏が世間に出られたためか。しかもこの大光明は普く十万を照らしている。
ー その時、五百万億の国土の諸々の梵天王は、それぞれの宮殿に登り、また、それぞれ、花皿に諸々の天花を盛り、共に西方に赴いてこの相を尋ね求めた処、大通智勝如来が道場の菩提樹の下で獅子座に坐り、諸々の天人や、竜王や、ガンダルヴァや、キンナラや、マホーラガや、人間や、罪人らに恭敬され、通りまかれているのを見、また、十六人の王子が仏に教えの輪を転じたまえと請うているのを見た。そこで、諸々の梵天王は、仏の足を額に頂いて礼拝し、仏のまわりを右まわりに五百回まわって、天花を仏の上に散じた。散じた花はスメール山(須弥山)ほどの量であった。また、仏の菩提樹にも供養をした。その菩提樹の高さは十ヨージャナであった。花を供養し終ってから、それぞれの宮殿をかの仏に奉献してこう言った。
ー 『ただ我らを憐れみ、利益せられて、我らの奉献する宮殿を願わくはお受け下さいます様に』と。
 ときに、諸々の梵天王は、仏の前で、一心に声をそろえてこれらの詩を説いた。ー
ー 世尊が世に生まれられるのは甚だ希有であり、遇いたてまつる事は難しいのであります。無量の功得を備えて、よく一切の者を救い護り、天人と人間の大いなる師として世間を憐れみたまい、十万の諸々の生ける者達は普く皆、利益を受けました。ー
ー 我らがめぐって来た処は五百万億の国であります。そこでの深い禅定の楽しみを捨てて、仏を供養する為に我らはやって来ました。ー
ー 我らの先祖の福徳によって、宮殿は甚だ実しく飾られております。それを今、世尊に拝げます。どうか我らを憐れんでお受け下さいます様に。
ー その時、諸々の梵天王は詩によって仏を讃えてから、各々こう言った。
ー 『願わくは世尊よ、教えの輪を転じて、生ける者達を救い、永遠の平安への道を開きたまえ』と。
 ときに、諸々の梵天王は一心に声をそろえてこの詩を説いた。ー
ー 世間の英雄、人間の中の最高の人よ、願わくは教えを説き、大慈悲の力によって苦悩する生ける者達を救いたまえ。
ー その時、大通智勝如来は、黙然としてこれを許された。
 諸々の比丘よ、この様にして、また東南方の五百万億の国土の諸々の大梵天王、南方五百万億の国土の諸々の大梵天王、上方五百万億の国土の諸々の大梵天王らも、悉く大通智勝如来のいられる処にやって来て、仏を供養し、菩提樹を供養し、それぞれの宮殿を仏に奉献した。
 さて、この諸々の梵天王は、仏の前で、一心に声をそろえてこれらの詩を説いた。ー
ー 諸仏、世を救う聖者達を見たてまつるのは何とよいことであるか。聖者達はよく三界において、諸々の生ける者達をよく、地獄から出される。ー
ー 普く悟られた、天人や人間の中の尊い人は、多くの者達を憐れみ、よく不死の門を開いて広く一切の者達を救われる。ー
ー 昔から無量劫の時は空しく過ぎたが、仏は現われなかった。世尊が未だ出られなかった時は十万は常に暗黒であった。ー
ー 三悪道は増大し、アシュラもまた増大した。諸々の天人達はどんどん減り、死んで多くは悪道に堕ちた。ー
ー 仏より教えを聞かず、常に不善の事を行ない、ー
ー 体力も智慧も、これらは皆、減少する。罪業の因縁によって安楽と安楽の想いを失う。ー
ー 彼らは邪見の教えに住して、善の教えを知らず、仏の教えを受けないで、常に悪道に堕ちる。ー
ー 仏よ世間の眼である者よ。久しぶりにあなたは世に出られた。諸々の生ける者達を憐れんで、世間に現われ、ー
ー 超出して正しい悟りを完成せられた。我らは甚だ喜び、我らの他の一切の者達も未曽有のことと喜び感歎した。ー
ー 我らの諸々の宮殿は威光を蒙って美しく飾られた。今それを世尊に奉ります。憐れみを垂れてお受け下さいます様に。ー
ー 願わくはこの功徳をもって普く一切に及ぼし我らと生ける者達と皆共に、仏道を完成せん事を。
ー その時、五百万億の諸々の梵天王は、詩によって仏を讃め終って、各々、仏に向かってこう言った。
ー 『願わくは世尊よ、教えの輪を転じたまえ。安穏ならしめる処多く、救うところが多いであろう』と。
 諸々の梵天王はさらに詩を説いてこう言った。ー
ー 世尊よ、教えの輪を転じ不死の太鼓を打ち鳴らしたまえ。苦悩する生ける者達を救い永遠の平安への道を開示したまえ。ー
ー 願わくはわが請いを受けて、大いなる微妙な音声によって、我らを憐れんで、無量劫に習われた教えを説きたまえ。
ー その時、大通智勝如来は、十万の諸々の梵天王、及び十六人の王子の請いを受けて、即時に十二因縁の教えの輪を三通りに転じられた。沙門であっても婆羅門であっても、天人や、悪魔や、梵天や、その他のいかなるものであっても、転ずることの出来ないものであった。すなわち、その教えとは、『これが苦である、これが苦の原因である、これが苦の滅である、これが苦の滅に至る道である』という教えであった。また、広く十二因縁の教えを説かれた。すなわち、『無明が原因で移り変り(行)が生じ、移り変りが原因で識別作用(識)が生じ、識別作用(識)が原因で名称と形状(名色)が生じ、名称と形状(名色)が原因で六種の感官(六入)が生じ、六種の感官(六入)が原因で壊触感覚(触)が生じ、接触感覚(触)が原因で感受作用(受)が生じ、感受作用(受)が原因で愛着(愛)が生じ、愛着が原因で深く思いこむこころ(取)が生じ、深く思いこむこころ(取)が原因で生存(有)があり、生存(有)が原因で生まれること(生)があり、生まれる事が原因で老・死・憂・悲・苦・悩がある。無明がなくなれば移り変りがなくなり、移り変りがなくなれば識別作用がなくなり、識別作用がなくなれば名称と形状がなくなり、名称と形状がなくなれば六種の感官がなくなり、六種の感官がなくなれば接触感覚がなくなり、接触感覚がなくなれば感受作用がなくなり、感受作用がなくなれば愛着がなくなり、愛着がなくなれば深く思いこむこころがなくなり、深く思いこむこころがなくなれば生存がなくなり、生存がなくなれば生まれる事がなくなり、生まれる事がなくなれば老・死・憂・悲・苦・悩がなくなる』というのである。 仏が天人と人間の大衆の中でこの教えを説かれたとき、六万億ナユタの人は、なにものにもとらわれる事がなくなり、諸々の汚れから心が解放され、皆、深遠微妙な禅定・三種の明、六種の神通力を得、八種の解脱を備える者となった。第二、第三、第四の説法のときも、ガンジス河の砂の数に等しい千万億ナユタの生ける者達は、また、なにものにもとらわれる事がなくなり、諸々の汚れから心が解放された。これより後の諸々の弟子達は無量無辺であって数える事が出来ないほどである。
 その時、十六人の王子は皆、童子であったので、出家して沙弥(見習僧)となった。諸々の機根はするどく、智慧は明らかであった。既にかつて百千万億の諸仏を供養し、清らかな修行をして、この上ない正しい悟りを求めた。
 彼らは共に仏にこう言った。
ー 『世尊よ、この諸々の無量千万億の長老の弟子達は皆、既に完成されています。世尊よ、また、我らの為に、この上ない正しい悟りに至る教えを説いて下さい。我らは聞き終って、皆共に学びましょう。世尊よ、我らは如来の知見を願い求めています。心の奥底で念じている処を仏は承知していられます』と。
 その時、転輪聖王のひきいていた者達の中の八万億の人は、十六人の王子が出家するのを見て、また出家する事を求めたので、王はこれを許した。
 その時、かの仏は、沙弥の請いを受け入れて、二万劫を過ぎたのちに、四種の会衆の中で、妙法蓮華・菩薩を教える法・仏に護念せらるるものと名づけるこの大乗経を説かれた。 この経を説き終ったとき、十六人の沙弥は、この上ない正しい悟りの為に、皆共にこれを記憶し、節をつけて誦え、意味に精通した。 この経を説かれたとき、十六人の菩薩の沙弥は、皆悉く信じ受け入れ、弟子達の中にもまた信じ理解する者があった。しかし、それ以外の幾千万億の生ける者達は皆、疑惑を生じた。
 仏は八千劫の間倦むことなくこの経を説かれた。この経を説き終って、静かな室に入って禅定に住されること八万四千劫であった。この時、十六人の菩薩の沙弥は、仏が室に入り、ひっそりと禅定に住していられるのを知って、各々、法座に昇って、また八万四千劫の間、四種の会衆の為に妙法華経を広く説き明した。ひとりひとりが皆、ガンジス河の砂の数に等しい六百万億ナユタの生ける者達を救い、教示し、喜ばしめて、この上ない正しい悟りに向かう心を起こさせた。  大通智勝仏は八万四千劫を過ぎ終って、冥想から立ち上って教えの座に近づき、静かに坐り、普く大衆に告げられた。
ー 『この十六人の菩薩の沙弥は甚だ希有の存在である。諸々の機根はするどく、智慧は明らかである。既にかつて無量百千万億の諸仏を供養し、諸仏のもとで常に清らかな修行をし、仏の智慧を受持し、生ける者達に開示してその中に入らせるのだ。御前達は皆、しばしば近づいてこれを供養せよ。それは何故かというと、もし声聞や独覚や菩薩達がよくこの十六人の菩薩の経法を信じ、受持し、破らなかったならば、この人は皆、この上ない正しい悟り、すなわち、如来の智慧を得るであろうから』と。
 仏は諸々の比丘に告げられた。
ー 「この十六人の菩薩は、常に願ってこの妙法蓮華経を説いている。各々の菩薩が教化した、ガンジス河の砂の数に等しい六百万億ナユタの生ける者達は、生まれる世々でいつも菩薩と一緒であり、菩薩に従って教えを聞き、悉く皆、信じ理解した。この因縁によって四万億の諸々の仏に会う事を得、その因縁は今も尽きないのだ。諸々の比丘よ、私は今、御前達に告げよう。かの仏の弟子である十六人の沙弥は、今、皆、この上ない正しい悟りを得て、十万の国土において、現在、教えを説き、無量百千万億の菩薩や声聞がその教えを受けている。その二人の沙弥は東方で仏となり、一人は阿閑(アクショ−ビヤ)と名づけて歓喜(アビラティ)国におり、もう一人は須弥頂(メール・クータ)と名づける。東南方に二人の仏があり、一人は師子音(シンハ・ゴーシヤ)、もう一人を師子相(シンハ・ドゥヴァジャ)という。南方に二人の仏があり、一人を虚空住(アーカーシャ・プラティシュティタ)といい、もう一人を常滅で(ニトヤ・パリニルヴリタ)という。西南方に二人の仏があり、一人を帝相(インドラ・ドゥヴァジャ)といい、もう一人を梵相(プラフマ・ドゥヴァジャ)という。西方に二人の仏があり、一人を阿弥陀(アミターユス)といい、もう一人を度一切世間苦悩(サルヴァ・ロ−カダートゥ・ウパドラヴォードヴェーガ・プラテュッティールナ)という。西北方に二人の仏があり、一人を多摩羅跋栴檀香神通(タマーラ・パトラ・チャンダナ・ガンダービジニャ)といい、もう一人を須弥相(メール・カルパ)という。北方に二人の仏があり、一人を雲自在(メーガ・スヴァラ・ディーパ)といい、もう一人を雲自在王(メーガ・スヴァラ・ラージャ)という。東北方の仏を壊一切世間怖畏(サルヴァ・ローカ・バヤ・チャンビタトヴァ・ヴィドヴァンサナ・カラ)という。第十六は私、釈迦牟尼仏であり、娑婆国土においてこの上ない正しい悟りを完成した。諸々の比丘よ、我らが沙弥であったとき、各々、ガンジス河の砂の数に等しい無量百千万億の生ける者達を教化した。彼らが私に従って教えを聞いたのは、この上ない正しい悟りのためであった。この諸々の生ける者達の中で、今日もなお、声聞の地位にある者は、私が常にこの上ない正しい悟りに向かって教化したのであるから、この諸々の人らは、この教えによって次第次第に仏の道に入るであろう。それは何故かというと、如来の智慧は信じ難く、悟り難いからである。その時教化した、ガンジス河の砂の数に等しい生ける者達とは、御前達諸比丘と、私が世を去ったのちの未来世の中の声聞の弟子達とがそれである。
 私が世を去ったのちに、弟子があって、この経を聞かなかったら、菩薩の行為を知らず、悟らないであろう。そして、自分で、得た功徳によって完全な悟りを得たいと思い、永遠の平安に入るであろう。私が他の国において仏となって、異なった名でそこに仏としてあるときに、この人は一度完全な悟りを求めて永遠の平安に入ったといってもまた、その国土に生まれて来て、仏の智慧を求めて、この経を聞く事を得るであろう。ただ仏の立場のみによって完全な悟りに至るのであり、他の立場というものはないからである。ただ諸々の如来の方便による説法は別として。
 諸々の比丘よ、もし如来が、自ら永遠の平安に入るべき時期が来たと知り、周囲の会衆が清浄で、信解力が堅固であって空の教えを悟り、深く禅定に入っていると知れば、如来は諸々の菩薩達と弟子達を集めて、彼らの為にこの経を説くのである。世間には、第二の立場で完全な悟りを得る様な者はなく、ただ、唯一の仏の立場によってのみ完全な悟りを得るのだ。
 比丘よ、正に知れ。如来の方便は深く生ける者達の本性の中に入って行き、生ける者達が卑小な教えを喜び、深く五欲に執着しているのを知って、それらのものこそ永遠の平安なのだと語ったりする。これらの者達はそれを聞いて信受する様になるのだ。
 例えば、ここに広さ五百ヨージャナの、人跡未踏の恐ろしい険難悪道があったとしよう。この道を、多くの人達が通過して珍しい宝のある場所に至ろうとするのに、一人の聡明で智慧あり、地理に明るく、よく険道の状態を知っている指導者がいるとしよう。彼が多くの人達を率い導いてこの難所を通過しようとした処、率いられた人々の方は中途で疲れ果てて指導者にこう言った。
ー 『我らは疲れ果て、恐れおののいている。もう進む事は出来ない。前途はなお遠い。今から引き返そう』と。この指導者は多くの方便を知っていて、こう思った。
ー 『なんというあわれなことだ。大いなる珍しい宝を捨てて、どうして引き返そうなどと思うのか』と。こう思って、方便力によって、この険道の中に、三百ヨージャナを過ぎた処に都城を神通力で作り出しておいて、人々に告げた。
ー 『諸君、怖れてはならない。引き返したりしてはならない。今、この大きな町の中にとどまって、したい事をするがいい。この町に入ったら快く、安穏になれるだろう。もしまた進んで宝のある所に至ろうという気になったら、ここを去ればよい』と。
 この時、疲れ果てていた人々は、心に大いに歓喜して、未曽有のことと感歎し、『我らは今、この悪道から抜け出して、快く安穏になる事ができたのだ』と言った。そこで、人々は進んで幻の町の中に入り、既に険道は越えたと思い、安穏の思いを生じた。その時、指導者は、この人々が既に休息する事ができ、疲れもなくなったのを知って、幻の城を消して人々にこう言った。
ー 『諸君、いざ、宝のある処は近い。さきの大きな町は、諸君を休息させる為に神通力で作り出したのだ』と。
 諸々の比丘よ、如来もまたこの様である。今、御前達の為に大導師となって、諸々の生死流転や煩悩などという悪道は険難であり長遠であるが、そこを去るべきであり、越えるべきである事を知っている。ところが、もし、生ける者達がただ唯一の仏の立場のみを聞いたならば、仏を見ようともせず、近づこうともせず、こう思うであろう。
ー 『仏道は長遠であるから、久しい間苦しい思いをしなければ完成することなど出来ないのであろう』と。
 仏は、生ける者達の心が卑怯であり、柔弱であり、下劣であるのを知って、方便力によって、中途で休息させる為に、二つの平安を説くのだ。もし生ける者達が、二つの平安の境地に安住したならば如来はその時、彼らの為にこう説くのだ。
ー 『御前達はまだなすべき事を知っていない。御前達の住している境地はたしかに仏の智慧に近い。しかし、よく観察し、よく思いめぐらして見るがいい。御前達の得ている平安は真実の平安ではない。それはただ、如来が方便の力によって、一なる仏の立場において分別して三と説いただけのことである』と。 それはちょうど、かの指導者が、休息の為に大きな都城を神通力によって作り出し、既に休息し終ったと知って、人々に『宝のある処は近い。この町は実際の町ではなく、私が神通力によって作り出したにすぎない』と言ったのと同じである。」